STUDIO44の近況報告

福岡を中心に活動するバンド。愛称はスタヨン。

僕の古傷が疼く〜第3幕〜

みなさん、こんにちは。STUDIO44の萩原です。

今回も前回に引き続き、「僕の古傷が疼く〜第3幕〜」をお送りします。いよいよ完結編です(笑)

さて、坂道をブレーキかけずに滑降という、友人の無茶な提案をアホな僕らは「そりゃそうだ!」とすんなり受け入れました。大体もう高校生だというのに、ものの分別が全くついていないですね。そして、そのまま死への直滑降が始まったのです。あとは想像に難くないと思います(笑)

まず先陣を切って、運動神経抜群のEくんが飛び出しました。次に僕が続きました。後は振り返ってないのではっきりとは分かりませんが、その後もきちんと続いていたと思います。で、予想通りと言いますか、想像を遥かに超えたスピードで車輪は回りだしたのです。前を走るEくんの背中を睨みつつ、ボクは低姿勢で風の抵抗をなるべく少なくして、必死のハンドル操作で国道を滑り降りて行きました。幾つかのカーブを何とか曲がり切り、次はいよいよこの坂1番のヘアピンカーブです。先に魔のカーブに差し掛かったEくんは体を傾け、片方の革靴の底を擦りながら何とか曲がり切りました。*1

そしていよいよボクの番です。ボクは律儀にもノンブレーキ状態でバカ正直に突っ込んで行きました。当然曲がりきれる筈もなく、そのままガードレールに衝突する直前、そこでやっとブレーキをかけました。そのせいで、タイヤがスピンしてしまい、ボクの体は自転車から投げ出されて、宙を舞っていったのです。気づいた時には地面に倒れていました。

辺りには友人の「ウッヒャッヒャッヒャッ!!」という笑い声だけがこだましていました。。。

そのまま病院に運ばれ、精密検査を受けました。診断結果は「左鎖骨骨折」、なんと1本の骨が4ヵ所にわたって折れていました。俗に言う「複雑骨折」です。*2手術が必要だということで、そのまま入院するハメになりました。そしてそのまま1ヵ月間、病院のベッドの上で過ごしました。見境のない性欲の代償は余りにも大きいものでした。*3

そういう経緯で入院したにも関わらず、病室の隣のベッドのオッサンが、入院中、執拗にエロ本を勧めてきました。一緒に坂を下った友人たちもお見舞いに来てくれて、あの時盗んできた「岡山○○女学院御一行様」という張り紙をボクの枕もとに貼っていきました。エッチな夢を沢山見ました。

ごめんなさい。もう勘弁してください。そんな気持ちでいっぱいだった事を今でもよく覚えています。その時の傷が、今でも寒くなると疼くのです。肉体ではなく心の傷の方です。

ちなみにその時以外にも、ボクは今まで2度程骨折の経験があります。左の中指を2回。あとは、4歳の時に塀から落ちて、頭蓋骨にヒビが入りました。今思えば、その時の衝撃で人生を間違ったんじゃないかな(笑)

という訳で、長々と書いてしまいましたが、これがボクの高校二年生の冬に起きた事件の一部始終です。

とにもかくにもこのような長い話を最後まで読んでいただいた方、どうもありがとう。次回からは短めの話にしようと思います。

それではみなさん、楽しいクリスマスを。。また次回。


*1:後から聞いた話だと、この時、Eくんは、このままではヤバい事に気づき、こっそりブレーキをかけてたそうです。なんじゃそら。。。

*2:今考えると、それだけで済んでよかった

*3:平くん、これ読んでますか?