STUDIO44の近況報告

福岡を中心に活動するバンド。愛称はスタヨン。

ノーベンバー・レイン

みなさん、こんにちは。STUDIO44の萩原です。ご無沙汰しておりました。お元気でしょうか?

めっきり晩秋らしい気候となりまして、ギターの弦も冷たいので、最近は早弾きの練習をして指をあたためるようにしています(笑)

さて、今回なんですが、いつもと少し違った事を書いてみたいと思います。

実は、大学4年生のちょうど今くらいの時期に友人を一人亡くしました。毎年11月になると彼の事を思い出してしまいます。

彼は佐賀県の浜玉町というところの出身で、そこは大学まで通学しようと思えば通学できる距離ではあったのですが、大学生にありがちな自立心に則って親御さんに頼み込んで、無理矢理一人暮らしをしておりました。

偶然にも僕の住むアパートととても近い距離に彼のアパートも位置していたので、よくお互い行き来して遊んだものです。

彼の部屋の隣に住む女子大生が部屋に彼氏を連れ込んで、夜な夜なハレンチな事を繰り返しているらしい、というウワサを聞きつけ、夜中に彼の部屋に遊びに行ってはコップを逆さにして、壁につけて隣の音を聞いたりした事もありました(笑)良 いコの皆さんは真似してはダメだけど、その時は規則的に喘ぎ声のような音が聞こえたので「ウオォー!」と盛り上がっていたところ、なんて事ない、部屋の秒 針が時を刻む音でした。しかも1時間くらいは気付かず「こいつは相当なタフガイだ」「そうだ、男のカガミだ」みたいな事を言い続けていました。アホですね。

あと、僕が高熱にうなされて苦しんでいた時に、電話をくれて「何か食べ物を買って行くよ」と優しい声をかけてくれました。けど実際に買って来たのは、さばの缶詰とか竹輪とか、とても風邪ひきが食べれるような代物ではありませんでした。食欲が湧かない旨を伝えると、「じゃ、オレ食っていい?」と言って結局は全部平らげて帰ったのでした。食事に来ただけですね(笑)

逆に彼が高熱を出していたクリスマス・イヴの時は「一人でいたくない」という訳の分からぬワガママをぶつけられ、僕の家に上がり込んで、ベッドを占領され、家主の僕は
「恋人へのメッセージ〜日頃言えない事を聖なる夜に伝えよう〜」みたいな番組を見ながら、彼のおでこの濡れタオルをかえる、という世間から勘違いされてもおかしくないような行為を繰り返していました。翌朝ピンピンして帰って行きましたけど。

そんなこんなで彼とのエピソードは枚挙に暇がないですが、なかなか楽しい日々を過ごしておりました。が、実家を離れた大学生のよくある例に彼も洩れず、破天荒な生活を繰り返していた為に留年が決定しまして、大学4年の春に実家に連れ戻されてしまいました。

もともと学部が違った上に、僕は4年生になって殆ど学校も行かなくなっていたので、お互い顔を合わせる機会も減ってしまい、各々の生活が交わる事も随分少なくなったのでした。それでも折をみて遊んだりはしていたんだけど、彼も猛省したのか、以前ほどハメを外す事が少なかったように思います。

彼と最後にあったのは亡くなる2週間前でした。その時の事は今でもワリとはっきり覚えています。他愛ない話をしながら、チャペルの前で二人でタバコを吸いました。その時、僕はとある音楽オーディションで準優勝というのをもらって、初のレコーディングを間近に控えていました。最後に彼が「頑張ってね」と言いました。それが最後の会話。

お通夜に行ったその日は底冷えするとても寒い日でした。子供の時に祖父と祖母を亡くしてから、10年以上「人の死」というものに触れてなかったせいで棺の中の彼の白い顔を見た時にとてもショックを受けました。大人になって初めて死を実感を伴って意識しました。家に帰っても震えが止まらず、なかなか眠れませんでした。

それからもう随分時が経ちましたが、「彼が逝って、僕が残った意味」をたまに考えてしまいます。彼はきっと生きたかっただろうなと思うと、折れそうになる自分にムチを入れられたような気がするのです。そういう意味で、彼は僕の友達として、今でも僕を励ましてくれてるんだな。そんな気がします。

珍しく真面目な事を書いてしまいましたが、次回からまたフザけた事を書こうと思います。

そんな感じでまた次回。