STUDIO44の近況報告

福岡を中心に活動するバンド。愛称はスタヨン。

ヨーロッパ旅行記 '09 -道中篇(1)-

みなさん、こんにちは。STUDIO44の萩原です。前回の続き…。

さて、ネットで5月末に宿や移動関係を全ておさえてしまったので6月は何もやる事がなく、心おきなく44RECに集中することができました。最終的には7月にそのまま入り、渡航4日ほど前から少しずつバックパックを詰め始め(そうです、フリーダム!バックパック旅行です)結局直前までRECをやり、旅行に関して脳内シュミレーションを行う間もなく旅程に突入したのです。

今考えると、この時点で間違っていたかと…。

何を間違ったか…それは言葉です。言葉を完全に甘くみていました。スイスはスイスドイツ語とフランス語、イタリア語、ロマンシュ語の4種類の言語がそれぞれの地域で話されています。共用語はたぶんドイツ語だと思います。

知人にスイスで幼少期を過ごした帰国子女がいたので、実は彼女に事前リサーチをしたところ「英語は通じない」という情報を得ていたにも関わらず、僕はネットやガイドブックの「英語は通じる」という情報の方を真に受けてしまい結局は一切語学の予習をせずに渡欧しました。

ちなみに英語も大学生の時までの学校教育レベル、ドイツ語を第二外国語で少々、大学卒業後に市民講座で英会話を2年習い、その後ポルトガル語を少しやるもののドロップアウト。といった語学遍歴で、堪能レベルには程遠いものであったにも関わらず、全く根拠のない自信が僕にはありました。驚かれるかも知れませんが、旅行英会話集みたいなのを一冊持っていっただけで、その他言語に関するモノ、辞書などは一切持参もしませんでした。前も書いたけど、当然PCもかさばる理由でパス。

書いている事や言っている事の中に知らない単語があっても前後の文脈から推測すれば大丈夫!そう思ってたんですね(笑)

でもこれは学力テストではなく、リアルです、現実の世界です、忘れてました…。

道中の機内、トランジットのシンガポールで特に会話に苦労しなかった事もこの根拠ゼロの自信を加速させていきました。

結局はこの後、随分とこの言葉で苦労することになってしまいました…。

最初の難関はチューリッッヒ空港到着後、空港内のレンタカー事務所にクルマをピックアップしに行った時でした。以下は英会話。

「日本からインターネットで予約してた萩原ですけど…」
「オーケー。予約番号分かりますか?」
「12345678です」

といった感じでスムーズに会話は進んでいったのですが、この海外レンタカーというのは予約は日本から可能なんですが、契約自体は現地法人と締結みたいになっていて、その後いろいろと細かく訊かれるハメになりまして…

「保険の種類は?」
「ガソリンは最初に1回分払っておくか、返却時に満タンか?」

特に保険のくだりは専門用語が多かった為、よく理解できずに「Pardon?」を連発しました。しかも僕の英語が訛っているように、相手もネイティヴでないので訛っていて聞き取りづらく、ロケーション的にかなり涼しい国なハズなのに、汗がダラダラ流れました。僕は普段あまり汗っかきでないし、44ライヴでもこんなにかいたことはありません(笑)

僕の担当斜はMr.ビーンの俳優に似た中年男性だったのですが、結構冷たい感じで淡々と仕事をこなしていました。そんな僕との会話中に突然別のイギリス紳士が割り込んできました。

紳士「コレ、クルマのキズのチェックだけど、チェック入っていないとこにもいっぱい傷があったよ。まずここ!(貸出票に載っているクルマの図を見せながら)フロントのライトサイドでしょ…それから…」
ビーン「あー、ここですか(貸出票をその場で手書きチェック)他の気づいたところがあればご自分でチェックしといて下さい。それでイッツオーライッ!」

どうやら彼(紳士)は僕より早く受け付けたお客さんで、カウンターでの説明(貸出票の記載)と実物のクルマのキズの数が合わないとクレームを付けているようでした。

そんなこんなでやり取りの後、僕の受付も無事終わりまして「あなたのクルマはそこを出て左、17番に停めてあります。良い旅を!」と鍵をもらいました。

僕のヨーロッパでの相棒はOPELのアストラ2.0L(左ハンドル、ミッション)でした。クルマのまわりを一周してみると、僕の場合も貸出票にはないキズが結構ありまして、とりあえず前述のイギリス紳士への対応に従い、自身で貸出票に手書きチェックをしまくりました(笑)

しかもこの貸出票の原本はドイツ語となってまして、当然全く読めない。「Information Only」と書かれた同じ書類の英訳を一緒に渡されました。

とりあえず空港内のキオスクでスイスと近辺諸国の載ったロードマップを買いまして、ひとまずはリヒテンシュタインに向けて出発することに。

高速道路を探して、クルマを走らせ始めたのは良かったのですが、地図が見づらくなおかつ標識もドイツ語であったので、よく分からず走ってたら気づかぬままチューリッヒのど真ん中に出てしまいました。東京で言えば、新宿や渋谷という感じでしょうか。福岡では天神の渡辺通りですね。

右側通行で、街の中はトラム(路面電車)が走っており、日本とは違い縦並びの信号、「POLIZE」と書かれたパトカー。運転するクルマは左ミッション。後ろからは意味不明のクラクション。

このような好条件が全て揃ったおかげで、萩原岩利、ここで人生で最もテンパッた瞬間を迎えることに相成りました。神様、ありがとう!

尋常ではない汗をかきまして、ハンドルは手汗で滑らか、シートと体の接面もおかげさまでもれなく湿らすことができました。

そんなこんなで何とかチューリッヒを脱出し、無事に高速道路に乗る事ができたのですが…その先はまた改めてお話しします。

と、こんな感じでまた次回。